2026年4月24日金曜日

壱百七拾参

 

                  花筏です

さて南丹市の事件で献花台にうず高く積まれた供物を見て思いました

花見の時の鴨川と同じやと

花見のシーズンになると鴨川の河川敷で宴が繰り広げられる

翌朝鴨川の河川敷のゴミ箱の周りにはレジ袋がうず高く積まれている

食べ残した残飯が詰まったレレジ袋

中身が透けて見える

通りすがりに目にするだけで気持ち悪くなる

していることは同じ

供物はいずれ腐敗し異臭を放つ

供物を置いた人たちは置きっぱなしで引き取りに来ない

他人の善意の上に胡坐をかく行為

自分の家の前で同じことをされたらどう思う?

自分ちの仏壇にお供えしたご飯を置きっぱなしにしているようなもん

人としてどうかと思う

霊園と同じで持ち帰るのが原則

人は二度死ぬ

一度目は肉体的な死

二度目は人々の記憶の中から消えた時

人の死を悼むのは悲しむことでも供物を供えることでもなく

その人を忘れないこと

被害者を忘れないでいて欲しいと思う今日この頃です

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