2026年11月3日火曜日

参百参拾八~コラムの正論より、名もなき切なさに寄り添いたい~



日曜の京都新聞の一面の、

上野千鶴子氏のコラムが目に留まった。

相変わらずの切れ味鋭い分析と正論。

テレビや新聞のコメンテーターたちが、

いじめ自殺のニュースに対して

「学校の対応が」「教育制度の構造的問題が」

と通り一遍の評論を語るのと、どこか重なって見える。

彼らの言うことは、

きっと理論的には正しいのだろう。

けれど、どうしてだろうか

私の心には1ミリも響いてこない。

それどころか、

胸の奥にざらついた違和感だけが残る。

思い出すのは、

昔聴いていた関西のローカルラジオ番組。

「庶民派」を売りにした出演者が、

リスナーからのメッセージを紹介。 

「手取りの少ない薄給で、容姿にも恵まれず、

これまで彼女ができたことがありません。

自分にとって唯一の楽しみは、

月に一度だけ行く風俗。

いつも指名する女性が優しく接してくれる時間が、

生き甲斐なんです」

その切実な叫びに対して、

スタジオの出演者たちは一瞬の躊躇もなく爆笑した。

あの瞬間の嫌悪感を、

私は今でも忘れることができない。 

根っこが同じな気がする。

生きているだけで精一杯の人たちがいる。

社会的正義や立派な理論からはみ出し、

誰かのぬくもりにすがることでしか、

今日を生き延びられない人がいる。

それを上から目線で嘲笑したり、

断罪したりする権利が、

一体誰にあるというのだろうか。

夜の街で交わされる対価を伴った優しさも、

世間からは不真面目だと

眉をひそめられるような密やかな関係も、

当事者にとっては切実な救い。

誰かに寄り添うことでしか、生きられない人たち。

街の片隅で、共に支え合い生きている人たち。

家庭の中で夫から相手にされず、

孤独を抱える主婦。

出会い系アプリを使う度胸もなく、

ただ傷つくことを恐れながら、

身近な男性へそれとなく視線を送る。

「断られても関係が壊れない」

ギリギリの遠回しな言い方で相手を誘い、

ほんのひとときの温もりを確かめ合う。

傍から見れば「共依存」や「不道徳」

という言葉で片付けられるかもしれない。

しかし、お互いに欠けたパーツを持ち寄り、

支え合わなければ崩れてしまう人生がある。

互いが互いを必要とし、救い救われる。

そこにあるのは、

理論や制度では到底すくうことのできない、

人間の生々しくも切ない祈りのようなものではないか。

上等な正論や理路整然としたフェミニズムの言葉よりも、

私はそういう名もなき人たちの、

不器用で切ない思いに深く心を寄せたい。

立派な言葉で世界を語る人々には見えていないなかにこそ、

人間としての本当のぬくもりや救いがあるのだと、

この歳になってつくづく思う。

「機動戦士ガンダム」のミハルや、

「涼宮ハルヒの消失」の長門有希に

涙する人間でい続けたい。

0 件のコメント:

コメントを投稿

参百参拾八~コラムの正論より、名もなき切なさに寄り添いたい~

日曜の京都新聞の一面の、 上野千鶴子氏のコラムが目に留まった。 相変わらずの切れ味鋭い分析と正論。 テレビや新聞のコメンテーターたちが、 いじめ自殺のニュースに対して 「学校の対応が」「教育制度の構造的問題が」 と通り一遍の評論を語るのと、 どこか重なって見える。 彼らの言うこと...